最近はコロナ禍が落ち着き一見正常な社会に戻りつつあるように見えます。
ですが、マスク社会は一向に終わりそうな雰囲気にはなっていきません。
感染対策のためという名目ならば今が一番通常の生活に戻して良い状況のはずですが、マスク社会を当たり前のように継続しようとする社会の雰囲気を見て、この異常さに抵抗を感じなくなっている人が増えているのではないかと心配になる時もあります。
科学的根拠など関係なく警戒する事そのものが目的となっているように思えます。
感染対策をしているか、していないか。そんな事で人を判断するような社会は心を疲弊させ荒廃させていきます。
実際に人々の分断と差別の意識はコロナ騒動前に比べて確実に強まりました。
マスクやワクチンなども各自の判断が尊重される事なくほとんどの団体・組織が実質的な強制をしています。
たったの1年10ヶ月たらずで自由・尊重が大幅に失われていきました。
更に国民が疲弊しているというのにそれを増長させるような法案や制度が成立していき、管理・搾取が強まるような方向に社会は進んでいます。
東京ではワクチンパスポートまで開始され、政府は年内にパスポートの発行を全国に広め普及させていくという方針を出しています。
加えてマイナンバーとパスポートを紐づけする事によって口座番号・職歴・学歴・住所などの個人情報を中央で一元管理して、やがては国民に対する信用スコアも導入するという方針です。
信用スコアとは国民1人1人に点数がつけられ監視カメラによって常に行動が加点・減点されていくというものです。
これは既に中国で導入されており、一定数以上の減点者は公共交通機関・施設・病院も使用する事ができなくなっていきます。
日本はこのような露骨に人を差別するような制度を感染対策という名目で導入するため検討を始めていると聞きます。
デジタル改革担当大臣が、
「これからは感染対策のために社会のあらゆるものをデジタル化する事によって人と会わない生活スタイルを普及させる」と発言しています。
とんでもないと思う人もいると思いますが、現実に感染対策の一環とか最先端の便利な社会と称して良い事であるとして進んでしまっている状況です。
他にもスーパーシティ計画、ムーンショット計画など、同じく社会のデジタル化を謳っており良い事であるとして宣伝されています。
ですが、これらの実態はどう見ても分断と差別を増長させる装置のようなものではないでしょうか。
東京都「ワクチンパス」スタート、特典も - 産経ニュース (sankei.com)
コロナで人の分断はかなり深まりましたが、更にデジタルでそれが促進されるという事になります。
今一度本当にそれで良いのか、日本人として大切な事は何かを1人1人が見直すべき時期ではないかと改めて思われされます。
この感染対策やデジタル化による分断の影響は子供の教育にまで及ぼうとしています。
全ての教育をデジタル化・オンライン化させるという方針で進められている「GIGAスクール構想」をご存知の方も多いと思います。
これは教科書をデジタル化・授業をオンライン化する事によって効率化を図り、人が接触する機会も大幅に減らすことができるので感染対策にもなるという名目で進められています。
タブレットが生徒1人につき1台配布され、授業もオンライン化していく計画のようです。
デジタル庁は、
「これからの学校教育の主軸をオンライン授業にする事で、1人の教師が大勢の生徒を遠隔で教えられるようになります。
日本全国どこにいても1人の教師から学ぶ機会が平等に与えられるようになります。
まさにコロナ禍でのニューノーマルな生活を促進する事ができるのです。」と述べています。
しかし、このようなオンライン化を進めれば、一人だけで今までの何倍もの人数を相手に授業を行えるようになりますが、それはあくまで画面を見ているだけであり心の交流がなく共感能力も生まれません。
学び合いではなく単なる情報収集化してしまうと言って良いのではないでしょうか。
オンライン授業といっても、触れるのは人ではなく所詮はパソコンの画面であり電磁波です。
5GやWi-Fiなどの電磁波は人間に悪影響を与えると多くの研究者が証明していますが、それに小学生の頃から毎日5・6時間も触れさせるのです。とても健全な心が育つとは思えません。
スマホの電磁波と記憶力の減退 : ひかたま(光の魂たち) (blog.jp)
http://shindenforest.blog.jp/archives/23803735.html (Wi-Fiの危険性)
「学校における1人1台端末環境」というプロモーション動画があります。
その動画に出てくる生徒達が、
「タブレットがないと全部自分で考えないといけないんです。でもタブレットがあれば間違えた時にすぐ説明されて前に進んでいけるんです」
と発言して喜んでいるというものがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=K0wxp_vyRKM (プロモーション動画)
皆様はこれをどう思われるでしょうか。
違和感を感じられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
言語脳科学者の多くの方々が、
「紙の教科書と違い、タブレットのように液晶画面で読むものは空間的な感覚がつかめないために記憶に残りにくいのです。
МRIによる脳活動の測定でもタブレット使用時には脳の活動が著しく低下する事が証明されています。
ネット検索ですぐに答えを求めるために頭を使わなくなり、感性などは全く育たなくなってしまいます。
自分で何かを想像する力が失われ依存を引き起こし自立心も育ちません。
加えて読む能力・書く能力も衰え内容を咀嚼できない人間に育ってしまうはずです。
これは人の気持ちを理解し、共感する事ができない人間になる事を意味していると思います。
確かにスピードや効率は上がります。
ですが、それは大人がそればかり優先されるような社会を作り上げてしまったからであり、子供をその価値観に巻き込んでいるのです。
タブレットやパソコンをメインにした教育は脳科学的にも子供の成長にとって大きくマイナスに作用します。
私達大人は子供にとって本当に必要な事をしっかり見極めるべきです。」
と、警告を発しています。
少し話しが逸れますが、Google、Microsoft、Appleなどタブレットやスマホなどを開発し普及させている会社の役員たちの大半は自分の子供には15歳までゲームやスマホには極力触れさせないそうです。
開発の張本人であるビルゲイツらは「自分の子供にはスマホなどは15歳を過ぎるまでは絶対に与えない、ワクチンも打たせない」と発言している事は有名です。
彼らは子供にとってこれらが有害である事を解っているのです。
そうでありながら、他の人達には年齢制限など関係なく推奨していきます。
ビジネスのために子供が犠牲にされていると言っても過言ではない実態があるのです。
そういった事を知らずに大人が社会の流れに乗っかってしまえば子供はどうなるのか・・・考えさせられる話しではないでしょうか。
美しいプロモーション動画などとは全く違う本当の事実に目を向けるべきだと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=DDreaKySTXo (オンライン化が進む学校の実態)
また、大阪では既に日本初の民営学校をスタートしていますが、教師は非正規雇用が大半です。
非正規という事は公務員とは違い、「公共の利益のために、生徒の1人1人のために従事する」という憲法で定められている義務からも解放されるためにビジネスを優先させる事ができます。
酷い話になるとデジタル系の大企業の社員が生徒を教育するという話しまであります。
現在の教員よりもタブレットやデジタルに詳しいので、その方が効率が良いというわけです。
これでは公の精神など失われ、学びの場が単なる利益追求の道具となっていきます。
そうなると生徒の面倒見が良かったり、1人1人の心の機敏を感じ取る事のできる教員など「子供の成長を待つ事のできる教員」は効率が悪いと見なされてしまい、成果主義の大人が中心となって子供の相手をするようになります。
子供はそんな状況に影響され効率・スピード・良い成績・勝つ事を求めるようになり競争社会の価値観に染まってしまいます。
ただでさえコロナ禍によって差別と分断が深まっている社会です。
そんな時に更に競争を激化させるような事をすれば、日本の未来や子供達がどうなってしまうか容易に想像できます。
目先の利益を優先させ、次の世代に残すべき精神を汚すような事をしていれば社会全体の荒廃は深まり本当に取り返しがつかなくなるのではないでしょうか。
こうして考えると、今までの車や新幹線・携帯電話などのような技術は、あくまで人が中心であり人間性を失う事なく付き合える技術だったと思えます。
しかし、これから私達が直面するデジタル管理社会は人が中心に存在していません。
https://www.youtube.com/watch?v=_hEpW1ULMLQ (これからのデジタル社会)
ワクチンパスポートに代表されるように分断させて交流がなくなる事を推奨する技術である事が解ります。
今の日本は明らかに大切にするべきものを間違えていると思います。
ちなみに日本文化が花開いたと言われる江戸時代の学びは、
「生徒にむやみに〇×をつけるような事はせず勝ち負けではなく、自分なりの答えを出させ何故その答えに辿り着いたのかに関心を持たせる。
間違えても否定されないので皆が信頼感を持って意見を口に出し、大人も子供も一緒に納得のできるところまで考えていく。
そのなかで答えが出せない生徒がいた場合は、答えではなく、解らなくなった事を発言させて一緒に考えていく。
すぐに答えを教えず間違えても一向に構わない。
ただし、間違えた人間を陥れるような事を言ったり、むやみやたらに他人の意見を否定するためだけの意見を言うと厳しく戒められる。
自分の方が他の人間より優れているんだという態度はしっかりと正される」というものだったそうです。
他人より優位に立ったように感じるのは幻想であり錯覚である事、
欲やエゴで積み重ねたものなど脆く、ましてや人間は刀で斬られたら一瞬で終わってしまう事、
それを回避するためには恨みを抱かせず、何者かより優位な事などないという真実に気付く事、
自分は色々な存在に支えてもらっている事を自覚し、共に生かす道を進む事、
こうした武士道精神を同時並行で伝えていたといいます。
他人の心を尊重して理解する事だけではなく、欲やエゴに惑わされない生き方を知る事によって人を愛する事を学んでもらい、それを土台にして自分の人生を考えられるようにしていくという方針だったそうです。
この江戸時代の話しは一例ではありますが、これだけを見ても日本人とは何かが見えてくるのではないでしょうか。
日本には刀を抜かず人を愛する心と本物の技を体現していた人達や、
今の技術でも建てる事が難しいと言われるような建造物をお寺や神社などに残した人達が数多くいました。
食料自給率も100%です。全てが調和によって成り立ち見事な循環社会が完成していたのです。
日本の文化は人・動物・植物・鉱物を自分を支えてくれる大切な存在(神仏)と捉え、お互いを活かし合う精神が土台になっています。
当時の日本人は武道のような殺傷を目的とするものですら「刀を抜かない」と人を愛する道に変えていきました。
日本人が本来持っていた物事を見抜く深い目、肝の据わった心、武道に見られるような調和力の深さ。
そんな日本人の素晴らしさはこうした精神性と文化からもたらされています。
当時から世界を覆っていた価値観は競争・利益第一主義でした。
その価値観に惑わされる事なく、本当に大切なものは何かを深いところで理解してきたのが日本人です。
これは日本人の底力は心が中心であり、人・自然のつながりに敬意を抱くところからきているという事です。
今の私達に最も必要なものではないでしょうか。
この社会状況で優先させる事はこの価値観を取り戻す事だと思うのです。
それをデジタル化や感染対策で分断されてしまったら、せっかくの素晴らしい力が台無しになってしまいます。
私達日本人は既にニューノーマルとかデジタル化よりも価値のある文化を持っているわけですから、目先の価値観や言葉に踊らされる事なく、本当の価値や幸せに気付く必要があると思います。
このような時こそ心に立ち返る人達が増えてくれる事を願います。