世界中でコロナ禍による規制が解除されています。
デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランド・リトアニア等は全規制撤廃、
フランス・スペイン・イタリアもマスクと消毒義務の解除、アジア各国もこれに続いています。
世界でいち早くワクチン4回目接種を進めたイスラエルも、「もはやコロナとは共存を考えていかなければならない段階に入った」と声明を出し、マスク・消毒・ワクチンパスポートを廃止しています。
イギリスも同様の対応をしており、更にPCR検査で陽性だったとしてもマスクなしで良いとなっています。
あれほど強制化を推し進めていたイギリスやイスラエルも今やこのような状況になっているのです。
これだけを見るとウイルス騒動は終息し、社会は落ち着いてくるのではないかと思わされますが、実際はその背後で更におかしな方向に進む動きが起きています。
例えばWHОは、
「次にコロナのような事態が起きた時は、全ての権力をWHОに集め各国が従うような体制にしていく」と発言し、
パンデミック協定という法案の成立に動いています。
その内容は、
・各国政府・議会・国民から全ての権限を剥奪し、WHОの手に委ねる。
・WHОは各国が将来発生する感染症にどのような対応をするべきなのか命令し決定する権限を持つ。
・この協定は国際法上、法的拘束力を持ち、各国の法律や憲法に変わり、全ての国がWHОの指示に従う。
という過激なものです。
各自の判断で行動する自由も、お互いの意思を理解し尊重する事も一切許さないという事になります。
人権も何もありません。
これは人々の安全と平和を願っての協定ではなく、一部の人達の権力強化のための準備である事が明白です。
WHОとワクチン開発者のビルゲイツ氏は、
「mRNA遺伝子治療を全ての国に提供できなかったのは、各国でワクチンを拒否した人達が多数いた事も原因のひとつである。
今後はこのような事がないよう先進国が団結して、全ての人達にWHОから強制力を行使できるようにする」
と発言しています。
その一方で「ワクチンは効かない」などと矛盾した事も平気で発言しているにも関わらずです。
https://note.com/nakamuraclinic/n/ne4c10709258b
この流れで社会が進めばどうなってしまうでしょうか。
署名した国は、デジタルパス所持を強制化し、感染対策に従わない人は無期限の外出禁止にする事などが検討されています。
実現すれば、まさに管理社会です。
このような社会にしないためには、現実にこういう事が進んでいる事を多くの人が知り、自分の生き方をどうするか、次の世代のために何ができるか・何を伝えていくべきかを考えていく事だと思います。
お互いの意志を共有し、次に何か起きても冷静でいられるような準備をしなければいけないと思います。
実際、今最優先で検討すべきことは権力の強化などではなく、長引く感染対策で疲弊した人達、家族を失った人達、自粛などでお店や会社が破綻した人達に対する謝罪やケアだろうと思われた方も多いのではないでしょうか。
そもそも今回のコロナ騒動は本当にパンデミックだったのか怪しい点が多数ありました。
ワクチンにも同じことが言えます。
日本でもワクチン接種後に体調が急変し、家族を失った人達もたくさんいます。
ワクチン遺族の声2|中村 篤史/ナカムラクリニック|note
そういった不可解な点を明らかにする事もなく、裏で自分達の権力を強める事だけは進めています。
一部の人達の権力と利権を優先して物事が動いていく競争社会の実態がより明確になってきていると思わされます。
そして、これから権力の増大に向けて動いていくという意志が見えてきます。
ですから、肝心の国民がこのように好き勝手にされている事に気付けるかが重要になります。
何も知らずにメディアに誘導されたり、分断を深めている場合ではありません。
しかし、日本の現状はというと世界中がマスクや消毒はほぼ無意味であると認めているにも関わらず、今だに幼児から大人まで全ての感染対策が続けられ、5歳以下へのワクチン接種も進んでいます。
世界の実情に目を向けず、まるで時が止まったかのような状態です。
大半の人達もメディアに誘導されるかのように、
「いつまで続くんだろう・・・疲れる・・・もういいでしょ・・・」と言いながら感染対策を続けています。
・・・こんな状態で大丈夫なのでしょうか。
おかしいと思うならば自分の意志でやめても良いのではないでしょうか。
たとえ少しずつでも、「おかしいものはおかしい」と意志を示す。
そういった勇気ある姿を子供達に見せてあげても良いと思うのです。
案の定、そんな精神状態を表すかのように日本はパンデミック協定も署名をする流れになってきています。
おそらくメディアも、この協定に署名する事が正しいかのような報道をしてくる可能性が高いです。
普通に考えればとんでもない事です。
ですが今の状況では、メディアが言うからと大半の人達の意識がマスク・ワクチンに賛成する人が正しい、
ウクライナが正義で、ロシアが悪と認識する人が正しいという風潮になってしまったのと同じように、
ひとたびメディアが署名する事が正しいと報道すれば、協定にも平然と賛成する流れになってしまうかもしれません。
それぐらい日本人の心が疲弊し、物事の本質が見えなくなってしまっているように感じます。
2020年以降、コロナ禍、紛争、食糧問題、競争社会の激化で、日本を取り巻く状況は厳しさを増しています。
このような現実に目を向けず、大多数の人達がただ流されている今の状況が続けば、何年か経った後に「なんでこんな社会になってるんだろう・・・」と言いながら皆で後悔する事になってしまいます。
本当にそれで良いのでしょうか。
日本人の本当の力は心を中心とし、人・動物・植物・鉱物を自分を支えてくれる大切な存在と捉え、調和と循環を重んじ、
武士道精神に見られるように「刀を抜かない・人を斬らない」という人を愛する生き方を尊ぶ心の深さです。
競争・支配・搾取が横行するような社会では人が幸せになれないという事を日本人は解っていました。
そういう文化が本当に実現できていましたし、現代の日本人にもその力はしっかりと残っています。
1人1人が日本人である事を大切に思い、日本の文化や精神性がどれほど価値のあるものなのか、
それをもう一度見直す事が本当に必要な時だと思います。
今と同じく、昔も世界の価値観は競争・支配が中心でした。
ですが、そのような中でも日本は調和・循環の社会を守り続けてきました。
産業革命時代の列強国と日本の文化の違いを知るとよく解ります。
19世紀の西洋諸国、産業革命によって、ロンドンの人々の生活は一変していました。
過酷な児童労働、悪臭漂う路上、紡績機の前で休憩も与えられず1日中作業させられたり、炭鉱でトロッコ引きをさせられたりして作業や過労によってそのまま死亡という事も日常茶飯事、教育を受けられるのは一部の富裕層のみ、街の中心を流れるテムズ川は茶色く汚れ汚染され、石炭の煙が町中を多い建物も人々も煤にまみれで「霧の町」と称されるほど、犯罪が横行し、死体も路上に放置されているという状況だったようです。
白く清楚なドレス、贅沢なケーキと料理、豪華な衣服と宝石、いわゆる戦後の教育によって私達が思い込まされてきた華やかで優れているのが西洋の国々というのは作られたイメージです。
実際、こういった豪華な生活をしていた人は児童までも容赦なく酷使して利益を独占していました。
当時の歴史家のチャールズ・ディケンズ氏はその様子を、「彼らは人間を食らう飢えた魔物だ」という言葉を残しているほどです。
産業革命は工業や食料の生産を増加させた一方で、競争と争いを世界に広げる事になり、世界中で多くの人々を苦しめました。
アメリカではイギリスに大量の綿花を輸出するために、白人が黒人奴隷に鞭打ち過酷な労働を強制しており、
アジアの国々もこれら列強国によって支配と搾取をされていました。
大多数が搾取され、一部の人達が富と権力を握るのが世界の常識でした。
そのような時代に日本人は見事な社会を築いていました。
まず、西洋では大半の人達が読み書きできない状態であったのに対して、当時から日本は識字率が70%を越えていました。
ロンドンでは15%にも満たなかった時代にです。
江戸を訪れたドイツの使節団は、
「日本人はほとんどが読み書きができることに、私達は衝撃を受けている」と述べています。
そんな高い識字率を背景にして江戸時代には膨大な量の書物や文献が作成されました。
健康、料理、歴史、裁縫、観光、釣り、武士道の精神など様々な書物が作られました。
しかし、当時の本は大変貴重な物として扱われていたので気軽に買う事はできません。
そこで、より多くの人達のために本の販売ではなく、「貸本屋」という手法によって安価で多くの本を流通させていきました。
これならば生活が貧しい者でも関係なく、多くの学びができます。
農民たちは農業技術を記した本によって技術を学ぶ事ができ、堆肥や農具の改良に精を出す事ができました。
大工も同様に、清潔な上下水道を完備し、尿や便は全て肥料として活用する技術が完成するなど技術や知識が進歩し、世界中にある大都市と比べても江戸は世界一清潔な街と呼ばれるほどにまでなっています。
郵便物などは道の脇に籠のようなものが置いてあり、手紙と一緒に送料を入れて郵送してもらうという方式でした。
番人は誰もいないのに盗みを働く物はおらず、九州から東北まで正確に郵便物が届いたそうです。
あの時代に各地方に正確に手紙が届くのです。
当時、西洋人が江戸の街を見て、「家に鍵も錠前もないのに人々が全く盗みを働かない。こんな国が存在するのか・・・」と只々驚いていたという記録も数多く残されています。
物も徹底して大切に扱いました。
使い古された紙、布地、金属などの資源は専門の業者が回収し、必ずリサイクル、街に紙屑が落ちていようものなら「屑屋」という職業の業者がすぐに回収に来る上に、市民1人1人もゴミを大切に扱い屑屋に届けていた人も多かったといいます。
ゴミだろうが使い終えた古物であろうが、生きとし生けるものから頂いている、ひいては命を奪い使わせていただいてるという事をしっかりと自覚していたという事です。
ペリーも日本の文化に衝撃を受けて「我々が誇る文明国よりも遥かにすぐれた国である」と言っています。
支配・搾取・競争ではなく、調和と循環の社会だったのです。
そして、それに見合うだけの心の深さや道徳心も持ち合わせていました。
これなどは武士道精神の土台となるものです。
また、その武士も西洋の外交官達に、
「日本の武士は強力であり十分な武力がある。なのに庶民たちから略奪を一切しない。驚くべき事である。
西洋の騎士で日本の武士のような振る舞いができる者が果たして何人いるのだろうか・・・日本には迂闊に手を出すべきではない」と言われているのです。
日本人はこのような素晴らしい社会を完成させていました。
鎖国し、あくまで自国の防衛と発展に力を尽くし、他国を侵略するような事もしませんでした。
当時からアジア全域からも絶大な信頼を集めていました。
なんせアジアの国に日本人が上陸すると現地の人達が警戒する事なく、必ず手厚く出迎えていたという記録が残っています。
当時は油断すれば外国勢力に侵略されるのが当たり前でしたので、警戒されるのが普通でしたが、日本人はそのような事はしないと現地の人達は確信していたのです。
大袈裟な話ではなく、日本人は自国だけではなく他国の人達の心も平和にしていたのです。
産業革命や植民地政策などによって競走や支配が広まっていた一方で、日本はその価値観に呑まれず信頼や信用を広げていたのです。
日本人はこういう生き方ができる力があるのです。
確かにその後は、外国勢力があまりに強引に迫ってきたので、日本は軍事力を強化し戦わざるおえなくなってはいきました。
しかし、それも日本が自発的に戦いや侵略に乗り出したわけではありませんでした。
侵略ではなく、植民地の解放や人種差別の撤廃などを目的としていたのであり、人間としての心を失ったりはしませんでした。
戦いが泥沼化し悲劇的な結末を迎えてしまった事は事実ですが、メディアはそこだけを執拗に取り上げて日本は暗くて悪い国だったと言っているのです。
ですが、事実は全く違い実際の日本はとても心ある文化です。
これを早く思い出す必要があると思います。
今のように競走や分断の価値観に流されて大切なものを捨て去っても良いのか真剣に考えるべきだと思います。
私はこのように誇りある事実をどんどんお互いに共有するべきだと思います。
昔と今は違うでしょ・・・そんな事はありません。
稽古すると実感できますが、今も日本人本来の気はまったく消えていません。
忘れているだけで、失われてはいません。
もっと日本人である事を喜び、希望を持つべきだと思います。
それに気付き、深めていく事が1人1人が変わっていく事にもなると思うのです。
社会は良くなっていくと信じ、日本人の心・育んできた文化・失ってはならないものは何かに目を向ける人達が増えてくれる事を願います。
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